去年十二月廿八日午刻、於西郷之構押入鑓走廻、剰去正月廿八日午刻、於懸河天王社路、最前合鑓菅沼美濃お衝伏、其上令刀切蒙鑓手二ケ所之段、粉骨之至也、本意之上、可加扶助之条、守此旨、弥可抽軍忠者也、仍如件、
永禄十二己巳 二月廿八日
氏真判
潜井善右衛門とのへ
→戦国遺文 今川氏編2294「今川氏真感状写」(東京大学史料編纂所架蔵三川古文書)
去る年12月28日午の刻、西郷の構えにおいて槍を押し入れ活躍しました。さらには去る正月28日午の刻、掛川天王社の道にて、前線で槍を合わせ菅沼美濃を突き伏せ、その上刀で切らせて槍傷を受けること2箇所の段、粉骨の至りである。本意の上で、扶助を加えるだろうから、この旨を守り、ますます軍忠にぬきんでるように。